理容の歴史 |
年代 | ヘアースタイル | 理容業 |
17 世 紀 |
清朝が辮髪強制を行う。 江戸時代には月代を剃る習慣が広まり、髪型の種類も多様になったため、髪結いの必要性はますます増していった。
前髪の禁止令が出る。 王侯、貴族が複雑な結髪や染毛、ひげの手入れなどに強い関心を寄せたため、王の理容師、貴族の理容師、庶民の理容師と厳密に分けられるようになった。 |
各国における理容師の歴史を調べてみると、外科医と理容師は皆同一の職業であったようである。 イタリアにおいても14世紀頃、外科医と理容師は同一に見なされていた。 腕を切開して噴出させた血液を、理容外科医が、金属製の皿で受けている。 髪結が町の番役(町内の夜回り)を担うことになり、かわりに番所での髪結床の営業が認可される。 |
18 |
イギリスのチャールズ2世もフルボトムド・ウイッグ(総かつら)を着用していた。
中期にあらわれた辰松風は髷が上から下へ頭を刺すような形だった。 |
外科医と理容師がはっきり区別されたのはルイ14世の時代であり、はじめて外科と内科は対等に見られるようになる。 西欧の理容店では客へのふるまいにも厳しく、「規制」を人目のつくところに掲示していた。 この規則を守らないと罰金を払わされた。 髪結いは、奉行所附近が火事になった際、防火活動をしたり、書類の持ち出しを手伝う駆付人足役を命じられる。 イギリスのジョージ2世が理容と外科を分離させる方法をだし、完全分離となる。 |
19 |
フランス革命の後、かつらの流行が去ると、代わって短い髪が流行した。また、ひげは頬髭からはじまり、次第に生やす部分が増えていった。 公卿のお歯黒、剃り眉制度緩和。 残髪令布告。 天皇断髪。 |
「男性のひげの歴史に関する研究」(ドルギー/オーギュスチン・ファンジェ)出版。 「浮世床」(式亭三馬)出版。 「理容店」(イギリス/リチャード・ブロクター)出版。 第1回内国勧業博覧会で理容道具賞碑を受ける。 1880年頃のバーバーショップ |
20 |
チャン刈りが流行し、前の長め、後の短めが極端となる。 美顔術、毛染め始まる。 あごひげは流行遅れで口ひげだけ残す傾向になる。 カイゼル髭流行。 科学薬液と熱によるコールド・パーマネント・ウェーブがイギリスとアメリカでほぼ同時に発明される。 パーマネントウェーブの大流行。 戦時下のため、パーマネント禁止。 アイパーが考案され、男性ヘアファッション化のきっかけとなる。 銀座を中心としてリーゼント型の流行始まる。 GIカット流行する。 ケネディスタイルが好まれ始める。 その後60年代中半、ハイティーンの間でアイビースタイルが流行する。 ロン毛・茶髪ブーム |
第1回世界理容技術選手権大会開く。(フランス・パリ)
第1回全国理容競技選手権大会開く。(東京・共立講堂) 日本でアジア初の世界理容美容技術選手権大会開く。日本代表チーム優勝。(幕張メッセ)
世界大会
組合員店キャラクターマークがチョキちゃんに決定。 理容師免許が知事免許から厚生大臣(当時)免許に変更。 レディースシェービングが若い女性の間で流行。 環境衛生法が生活衛生法に改正。 |
21 世 紀 |
ベッカムヘアブーム
アシンメトリーヘアブーム 白髪、薄毛を活かしたヘア、ヒゲが流行 ツーブロックヘアブーム 刈り上げ・七三ヘアブーム |
第32回世界理容美容技術選手権大会(シカゴ世界大会)で、日本代表チーム、シニア・ジュニアとも優勝
第35回世界理容美容技術選手権大会(フランクフルト世界大会)で、日本代表チーム優勝 ゆるキャラグランプリ2014でバーバーくんが企業部門1位に 2016韓国世界大会で、日本代表・シニアチームがテクニカル・ファッションともに団体総合優勝。個人でも根岸志匡(東京都)、片桐寿彦(愛知県)、大森利夫(愛媛県)が金メダルを獲得 |