私のみた上野の「小坂美容処」は、洋館建の瀟洒なものだった。
昭和の初期のことである。こうした建物を、その頃はモダーンでシックといった。秩父宮が、当時、庶民的な宮様といわれていた、その御用理容師が小坂巳之助というひとで「小坂美容処」の経営者だった。
この人にはエピソードがいろいろある。
『ハッケョイヤの最高峰、相撲の横綱の断髪式に、有終の美を添える風情で、後援会長なる名士がチョンと一鋏をいれて、あと理容師が調髪する写真が新聞紙上にでるようになった。
梅、常陸(梅ヶ谷、常陸山)とさわがれた豪華ケンラン名勝負の雄、近世名横綱の常陸山のチョン髷をハイカラ刈りにした人、それが小坂巳之助だった。
常陸山後援会長が、小坂の理容を高く評価していたので、万感交々の断髪式にこの愛する理容師を連れて行き理容をさせた。
横綱の最後のはなむけの心を含めてといったところだろう。
横綱と、一流理容師の対面、一瞬、緊張した場面である。横綱の断髪式に理容師の名がでたのは小坂巳之助がはじめてのようである』
小坂巳之助というひとは、人より「一歩先」を歩く人だった。大正2年のことである。小坂の店の電気看板は英語の文字のしゃれた看板だった。