「私の選んだ理容の道」
四国協議会代表 (香川県) 後藤 美子
皆さまようこそ香川にお越しくださいました。私は、三豊市の詫間町という、小さな町で働いています。生まれ育ちは大阪ですが、香川に嫁いでもう四十年。息子もこの業界で修業をし、良き師匠や先輩にも恵まれ、今では店の「五代目」として共に我が家で頑張っています。
今はこうして一人の理容師として働いています。しかし小さい頃にはそれなりに夢も持っていました。まず明るい自分のキャラクターを活かせそうな「お笑い芸人」。これは大阪人ならではの発想かも知れませんね。また歌う事が好きだった私は歌手…ではなく何故かバスガイドだったのです。他にもいろんな憧れを抱いていた中学生時代、そんな私が理容師を目指したきっかけは、私の祖父や叔父が大阪で理容業を営んでいたという、身近な環境は大きいものでした。それに加えある時、母にこんな事を聞かされました。
「散髪屋はええで、これからの時代は手に職を持ったもんが勝ちや。おっちゃんの店で手に職を付けたらどうや!」
またある時は、
「やっぱり散髪屋はええなぁ。寒い時は温いし、暑い時も涼しいし、雨が降っても仕事は出来るし!」と。
「なるほど…悪くはないなあ」となんとなく納得させられた私は理容師への道を選択しましたが、今とは違い、当時は『職人』こそが安定の象徴だったんですよね。そうして私は 中学卒業後、叔父の店で修業をする事になりました。叔父からは技術以外にも様々なことを学ばせて貰いました。そして技術に関しても一生忘れられない出来事があります。
シェービングがまだまだ未熟な頃、ビックリするような「濃い髭」のお客様に出会いました。約一時間にわたるその髭との格闘で身体中が汗びっしょり。なんとか剃り終わった後、お客様は私に、
「一生懸命丁寧に剃ってくれて有難うな!」
と声をかけてくれました。『時間がかかりすぎて怒られる…』と思っていた私にまさかの労いの言葉。とても嬉しかった事を今でも覚えています。それからの私が理容師としての「心構えと技術」をより深く考えるきっかけとなった言葉でした。
そのお客様の一言を「糧」に、その後の私は技術面は当然の事として、地域に溶け込んだお客様の目線に沿った接客の仕方、理容師として、社会人として何より人間としてどう生きるべきか、多くの事をお客様から学びました。今はただ感謝するばかりです。もちろん技術は大切です。職人=技術といってもいいでしょう。しかし二つのつながりにもう一つ、『地域社会』ということも付け加えて初めて『匠』と言えるのではないでしょうか?
地域社会に貢献できる理容師がいかに素晴らしいことか、これからもなくてはならない存在であるかを。過去に戴いた感謝の気持ちを後進に伝えていく、それが自分自身の『務め』なのです。
我々の業界も不況の真っ只中にいます。「時代の波」は大きくうねり、今まで私達の学んで来た「お客様目線」も大きく変化しています。だからこそ、「温故知新」。古き良き伝統を大切にしながら大胆に新しき物を見る勇気、即ち時代に応じた理容業を展開していかなければならないのだと思います。
最後に、「存続なくして伝統の継承はない!」という格言を元に私は「今を必死に乗り切って行く」決意をご報告申しあげ、私のメッセージ発表とさせていただきます。
「おおきに!ありがとうございました!」