井伏鱒二~つくり話の理容店

 

作家、井伏鱒二氏の『風貌姿勢』に理容店の話がある
『朝の散歩と平野屋』(つくり話)と、いうけれど「刈込」値段、五十銭というから昭和二年ごろの話である。
……『平野屋理髪店の主人は常に私の健康について、心配したり忠告したりする。
それは、彼が衛生に関する熟語を饒舌(しゃべ)りたいためでもあるが、主なる原因は、彼は、私に信用貸しで二百八十円を貸してくれているからである。
平野屋のいうところによると、朝早く起きて、毎日を規則的に暮らさなくては、私の不健康は、更にひどくなって行くであろうというのである。
そして、もし私が入院したり、転地したりすると、これまでの友誼上、二百八十円は私への見舞金にしてしまわなければならないであろうという』(中略)
……『お早う!、お早う!、ええ、お早う!五時半ですよ。もう五分で五時半!-私達は、五時半になると毎朝の散歩にでかける慣はしであったのだ。
この散歩のことを、平野屋は健康増進の散歩とか、愉快な散歩とかいって呼んでいる。
平野屋は自転車に乗り、そのリヤカーに私が乗り、郊外の路を走りまわる散歩なのである』(中略)
……『平野屋は手袋をはめ、外套を着て、それから、マスクをかけて自転車に乗った。私は、ドテラの袖の中に手を入れてリヤカーに乗った。
そうして平野屋は、勢いよく走りはじめたのである。
私達は、誰にも出会わさないで疾走した。それ故、誰はばかるところなく、大きな声で語ったのである。
「二百八十円かせぐには、一人、五十銭づつで頭を刈るとして、私は五百六十人の頭を刈らなくてはなりません。いつごろ、はらって頂けますか」「でき次第、はらう」「よろしいです。さあ、もうすこし速く走りますぞ」
平野屋は、激しく、体を左右にふりながら操縦したので、私達は、三里の道程を五十分で往復することができた。平野屋は、彼の理髪店の前に自転車を停めると、看板を見上げ、額の汗を拭いた。
私は、店の中に入って、坐り心地の好ましい理髪台に寝た。
これは、毎日の散歩のあとの習慣であった。
平野屋は、私が眠っている間に、店の掃除をしたり、時としては、私が居眠りしている間に、いつのまにか私の顔を剃ったりしたのである』(後略)
井伏鱒二氏は、東京・阿佐ヶ谷の住人である。大正の頃、東京の郊外といった土地である。

参考資料:「風貌姿勢」(井伏鱒二)


 

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