訪問福祉理容を通して出来る明るい地域づくり
狐塚 均氏(埼玉県組合)
目次
Ⅰ ある訪問理容
Ⅱ 訪問 理容を組合員の手で
1、 訪問理容の背景
2、 理容組合によるサポート
①訪問理容専用ホームページの開設
②訪問理容に関する高度な専門教育
3、取組みサロンの意義
Ⅲ 地域に笑顔を
Ⅳ 届いた便り
Ⅰ ある訪問理容
その“忘れられない訪問理容”は、男性からの1本の電話で始まりました。それは、「母親の髪全体が、かなり絡からんでいてブラシも全く通らない状態であり、何とかして欲しい。」というものでした。
訪問の当日私は、女性を見て驚きました。髪が大きな毛玉のようになっていて、どこから手を付けていいのか、解らない程でした。
髪型の注文をお聞きする際、短いスタイルを提案したのですが、頑かたくなに拒まれていたので、時間が掛かるのを覚悟で、髪の毛をほぐし始めました。
ほぐしながらお話を聞くとこの女性は、3年程前にご主人を亡くし、それ以来塞ふさぎがちになり、驚くことにその後3年間、一度も髪を洗わなかったのだそうです。女性にとって絡んだ髪は、どんどん悪化していく一方で「もう元には戻らない。」と決め付けていたようでした。そして望みを失い、外に出ることすら躊躇ためらうように、なってしまったのだそうです。
約1時間、随分と時間も掛かりましたが、なんとか髪全体をほぐすことが出来ました。そして、カットも終わりシャンプーも済ませ、遂に夢のサラサラヘアが甦りました。その時女性は、初めて笑顔を見せて下さり、そばで見ていた男性も、とても喜ばれていました。その様子を見てもこれまでの状況が、本人はもちろん家族にとっても、どれだけ大きな悩みであったかを、伺い知ることが出来ました。
正直私は、髪をほぐしている間、やはり「短く切るしか方法がない。」とも考えました。しかし諦めずに最後まで続けられたことは、ひたすら「この人の髪を元に戻し、笑顔になって貰いたい。」という、理容師が本来持っている使命に、衝つき動かされたもののような気がします。
Ⅱ 訪問理容を組合員の手で
1、訪問理容の背景
我が国は、出生率の変化や長寿命傾向等に伴い、世界に例を見ないほど急速に、高齢社会へと移り変わりました。(下・人口ピラミッド図参照)。
この社会現象は、至る所で需要と供給に変化をもたらしています。そして現在理容業界では、高齢者や障害者を対象とした、訪問理容の需要が増えて来ています。
訪問理容のサービスを提供する側の組織体も、理美容店経営者だけではなく、業界外の会社も入って来ています。しかし残念ながら、その中に理容組合員の比率は、それほど多くないようにも思えます。
訪問理容を取り巻く現状は、既に競争が激化し始めているようです。老人ホームなどの訪問理容では、施術料金の低価格化が進んでいます。新たに施設に参入しようとしても、一人のカット料金が1000円程度でないと受け入れて貰えないのが現実です。競争そのものは、社会の仕組みですので仕方ないのですが、それにより訪問理容全体の質が低下して行き、消費者が十分な満足を得られないようになることは、誠に残念なことです。
このような需要に対して、理容組合員によるサービスの実施が増えることを、私は強く望みます。何故ならそのことが、訪問理容を利用される方の満足度アップに繋がると確信しているからです。組合員の手による心のこもった丁寧な施術こそ、先のような訪問理容の利用者に、望まれているものではないでしょうか。組合員が訪問理容施術の主となり、お客様に“まだ見ぬ感動”を是非とも味わって頂きたいと感じています。
2、理容組合によるサポート
理容業界には、需要を取り逃がしてしまった苦い経験が過去にあります。古くは、「男性かつら」や、美顔術などの「エステティックサロン」また、肩もみ等のリフレッシュを目的とした「クイックマッサージ」、数年前では「耳掃除サロン」など、理容の技術の一部がことごとく他者に奪われています。
カット専門店などの最近の状況は、正に組合サロンから、理容の主たる部分を奪われた結果とも言えます。しかも、大手カット専門店では、資本力を武器に専用の改造車を作り、訪問理容の分野にまで進出し始めたと聞きます。
このような事例を考えても、個人の力では様々な対応に限界があり、資本等のある他社に負けてしまうことも有り得ます。そこで組合の組織力を活かし、個人が組織の中で力を合わせることで、個人サロンにも大きなパワーが生まれて来るのではないかと思います。
訪問理容に関して“理容組合によるサポート”の内容は、時代に合わせた変化が必要です。今私は、次のことがサポートとして効果的な対策であると考えます。
① 訪問理容専用ホームページの開設
私は、組合で作る訪問理容専用のホームページを開設することが望ましいと思います。そして各サロンにホームページがある場合には、そこにリンクをさせます。今や消費者の多くは、SNSやウェブページで検索をして、お店などを選ぶことが当たり前となっています。実際、私の店での訪問理容のお客様は、店のホームページを見て、依頼をして頂くケースが殆ほとんどです。このようにホームページには、強力な宣伝力と集客力があります。
また、訪問理容のホームページは、組合員同士のネットワークを組むことにもなります。一店舗での訪問理容では、地域的にも、時間的にも対応に限界があります。しかし、このネットワークがあれば、消費者の様々な条件に合わることが出来ます。故に一店舗では、お断りせざるを得ないような条件であっても、組合内の他のサロンで出来る場合も出てきます。
それは、消費者側から見ても訪問理容のサロンを選び易くなり、消費者の利便性を高めることにもなります。そして、各地域に於ける多くの消費者を、組合員サロンで抱え込むことが可能となります。
② 訪問理容に関する高度な専門教育
以前全理連で開催した「訪問福祉理容セミナー」では、組合員の訪問理容に対する意識改革や、基礎技術に対するレベルを上げることに大変役立ちました。
しかし今は、状況が次の段階に進んだのではないかと感じます。専門性を増した実践的な講習を、開催することが必要なのではないでしょうか。実際の訪問理容の現場では、理論通り行かないことが殆どです。例えば、寝たきりで出来るシャンプーなどにしても、実際に現場に行ってみると、洗髪器具を設置するスペースや、技術者が立つ位置など、洗髪をするには極めて不向きな状態だったりします。
また女性のお客様からは、ヘアカラーやパーマなどの要望もあります。そのような技術に対しても、サロンで行う場合の取り組み方との違いを理解する必要があります。
訪問理容では、どのような条件の中でも、スムーズな仕事が出来るようにすることが必要です。そのためには、実践的な知識が欠かせません。そして、技術以外の情報面に於いても、経験が浅いとどうしても戸惑うような場面が出易いものです。そのためには、プロの介護士や経験豊富な技術者を招いたり、座学だけではなく、実践に即した学びが必要であると思います。
更に、その後も取組みサロン同士の情報交換や、組合教育事業を通しての、有益な情報提供の継続が大切だと思います。訪問理容に関する旬な情報は、営業の活性化には欠かせないものです。
3、取組みサロンの意義
組合員サロンと言っても当然業態は、個々異なります。よって他の営業品目と同じように、訪問理容も「全ての組合員サロンが行う」ということでは無いかも知れません。しかしそのことは、むしろプラス要因として捉えられると思います。
現在、組合員自身も社会一般と同じように、高齢化が進んでいることも事実です。そのような状況の中で、この分野は、中高年の理容師に向いているものと、言えるのではないでしょうか。訪問理容は、ファッションの最先端というよりも、気を使いながらの、熟練した技術が発揮される場であり、お客様とより信頼関係が築ける場でもあります。なお且つ、それが社会貢献に繋がるものであるならば、中高年理容師のこれからの生き甲斐にも通じることと思います。
組合員の訪問理容への取り組みは、「組合も、サロンも、お客様も、社会も良くなる。」そのような、全てに利益をもたらすものであると、私は信じています。
Ⅲ 地域に笑顔を
私は、冒頭の訪問理容を通して理容の技術が、如何いかに人の心を開くものであるかを実感致しました。訪問理容を利用されるお客様は、どなたも何らかの事情を抱えています。理容師は、理容の技術をすることが仕事ですが、目的は技術そのものではなく、お客様に笑顔になって頂くことではないでしょうか。
笑顔は、周囲を明るくします。一人の人が笑顔になることで、周りの笑顔を増やします。また高齢者や障害者の生活を、支えている家族にとっても、笑顔は何よりも替えがたい宝であると思います。家族に笑顔が増えれば、地域が明るくなります。地域に笑顔を沢山増やすことは、それだけ幸せな社会を築くことに繋がります。
理容の仕事には、会話を通してのコミュニケーションがあります。技術を通したスキンシップがあります。施術の行程やその結果からは、爽快感を味わって頂けることが出来ます。そして出来上がった髪やお顔には、お客様が求める“美”があります。それらは全て笑顔に通じるものです。
全国の一人ひとりの組合員が、今以上に訪問理容を通して、お客様の気持ちを和らげてあげられることが出来たら、それぞれの地域に沢山笑顔が溢れます。その結果からは、社会の理容に対する価値も、より高まって行くことと思います。
Ⅳ 届いた便り
この訪問理容から暫くして、男性より私の元に便りが届きました。「母親が、スーパーマーケットまで行くことが出来た。」という知らせと共に、今回の訪問理容への感謝の気持ちが綴られていました。普通に考えれば、近くに買い物に行くことなど当たり前ではありますが、この家族には特別のようでした。それが出来たことの喜びの大きさが、施術をさせて頂いた私には、痛いほど伝わって来ました。
読み終えて、人のためになれたのかと思うと、胸の熱くなるのを感じました。今回のことは、正に理容師冥利に尽きるものと言えます。私は、この経験を活かし、これからも理容師の仕事を通して商圏地域の人々に、笑顔の輪を広げて行きたいと思っています。
そして全国の組合員が一丸となり、それぞれの地域を、笑顔と共に明るくしていく環境が、より整うことを願って止みません。
【参考資料】
○人口ピラミッドデータ
国立社会保障・人口問題研究所