現在の日本で行われている理容技術は、明治維新の頃に西洋の文化として輸入されたもので、それ以前の髪結職とは一線を画す「近代理容業」と称されています。
ところで、明治新政府は約300年続いた封建制度を払拭し、日本のおくれを取り戻すため、日本古来の風俗や制度を西洋化する政策を推し進め、その一環として明治4年8月9日、次のような太政官布を発布しました。
散髪制服略服脱刀共可為勝手事
但 禮服ノ節ハ帯刀可致事
これが、一般に「断髪令」といわれるものですが、実際には強制ではなく「散髪の許可」となっているところが大変興味深いところです。
また、この断髪令が布告される3ヵ月前に、
半髪頭をたゝいてみれば因循姑息の声がする
惣髪頭をたゝいてみれば王政復古の音がする
ザンギリ(斬切)頭をたゝいてみれば文明開化の音がする
という俗謡が新聞に掲載され、流行しました。
これは新政府の木戸孝允が新聞の果たす役割が大きいことに着目し掲載させたもので、文明開化にザンギリ頭が欠くことのできないものであるという観念を国民に植え付けたのです。
ちなみに、神奈川県横浜市にある山下公園に、この地から西洋理容が輸入されたことを記念したモニュメント「西洋理容発祥の地」記念碑(写真)がありますので、お近くに行かれた際にはぜひお立ちより下さい。