理容グッズの歴史
ヨーロッパの理容店の看板は、大きく2種類に分けられ、ひとつは真鍮や銅製の皿、もうひとつがサインポール。どちらも中世の理容外科医ゆかりの品のため、目印として使用されてきました。小道具ひとつをとっても、その時代の世相が反映されていることがわかりますね。
年代 | バーバーショップ | グッズ |
17 世 紀 |
パリの外科医メヤーナ・キールが、赤・白・青のサインポールをかかげ、理容師として旗揚げする。 瀉血(しゃけつ)の時に使われた赤い棒と包帯は、軒先に吊して干されていたが、風によって螺旋状に巻きつき、赤白のサインポールになったと言われている。 髪結職に鑑札が発行される。 西欧の大衆理容店は、日本の髪結床と同じように人気のある集会所、地域の情報交換発信の場所としての役割を果たしていた。 日本との大きな違いは、店に置いてあるのが将棋盤ではなく、演奏好きのための楽器が備えられていた点だ。 |
理容師の使用器具は、水だらい、ナイフ、櫛、鋏、その他ひげを剃ったり飾ったりするための備品などであった。(コーソン「西洋髪型図鑑) ●理容師の道具(かつら用)
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18 |
理容師と外科医の分裂により、理容師は青白、外科医は赤白に塗るよう定められた。 サインポールの頭についている「玉」は、かつて理容店の看板に使われていた皿やコップ、壺などが変化して「玉」になったとされている。 ●サインポール●
天保の改革で髪飾りなど無益の贅沢品を禁止。 サインポールは、西洋理容とともに輸入され、アルヘイ棒と呼ばれた。これはポルトガルの砂糖菓子「アルヘイ」のひねりを加えた形によく似ていたことに由来している。 |
剃刀は、6世紀に仏教とともに中国から朝鮮を経て日本に伝わった。戦国時代、武士の月代(さかやき)を剃る風潮が起こった。その最初の人物が織田信長だといわれる。 ●剃刀の変遷● 西洋の剃刀 日本の剃刀 政宗の剃刀 ●鋏の変遷● 和鋏(摺鋏) 大型調髪鋏 カット鋏 |
19 |
横浜で斬髪店開業される。 斬髪店の名称 「舶来職」
髪結職を理容店と改称。 東京で最後の髪結廃業 |
●バリカンの変遷● 両手バリカンがフランスより輸入される。これをヒントに小型化した両手式バリカンが日本で売り出される。 バリカン(正式名・クリッパー)は、フランスのバリカンエマール製作所の創立者バリカンによって発明された。
アメリカから輸入された電気バリカンをもとに国産化 |
20 |
ドイツ製レーザー輸入される。 植物性ポマード製造開始。 女性理容師が登場する。 終戦時の東京店舗1500店。 カッティング技術に梳き鋏を導入し、新分野が開拓される。 ヘアブリーチやヘアダイが盛んとなる。 ヘアワックスが普及。 ヘッドスパ、クリームバスなどが流行。 ユニセックスサロン増加。 |
パーマネントの機械輸入される
ハンドドライヤーが普及した。 電気アイロンが発明され、加湿、断熱の温度調節が容易になった。
高級なハイドリック式や回転イスなどの時代が続き、昭和40年に電動椅子が登場する。
替え刃式剃刀が一般化。
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21 |
リアシャンプー機器導入店増加。 エステティックに対応した個室設置店増加。 シェービング専門店出現。 クリープパーマ、新還元剤を使ったパーマが注目される。 メンズオンリーサロンが注目される。 |
スライドカット用の鋏が普及。 新型パーマ機器の開発進む。 |