理容店の定休日。なぜ月曜が多い~電気が来なければ営業できない~

理容店の定休日は、昭和の初期まで、毎月7・17・27日とする所が多かったのですが、その理由には業祖・藤原釆女亮の命日(7月17日)に由来する説と、徳川家康の命日(4月17日)に由来する説とがありました。(これらの説については「髪結職篇」1をご覧下さい)
第2次世界大戦前後からは、現在と同様、月曜日を定休日とする所が多くなりましたが、その理由とは何だったのでしょうか。
ひとつには、普段働いている人たちの休日が土日に多く、当然、理容店を訪れるのも土日に集中します。そこで、お客さまの利便を図るため土日に営業し、月曜日を定休日としたということがあります。これは、月曜日を定休日としている公共の施設、例えば図書館や博物館・美術館などと同様の理由によるものです。
そして、もうひとつには第2次世界大戦前後の日本の社会的背景に由来する重大な理由がありました。その理由とは……
第2次世界大戦前後の日本は、渇水や石炭不足などから電力供給が追いつかず、電気の使用制限だけでは対応でないため、「休電日」と呼ばれる電力の供給を停止させる日が設けられていました。業務上、電気を多く使う理容店は、その休電日に合わせて定休日を設定したため、その名残として、今も月曜日が定休日となっているのです。
東京都府中市の大川忠良さんの調査によれば、現在の東京電力は昭和26年に、『東京電燈』と『関東配電』という2社が一緒になった会社(東電50年史より)であり、「その名のとおり、東京と川崎が『東京電燈』、神奈川・山梨・埼玉・栃木・茨城・千葉が『関東配電』の管轄であったと推測されます。とくに神奈川の場合、川崎だけが月曜定休で、その他は火曜定休となっていますが、これは理容組合という組織の運営上、考え難い事で、余程のやむを得ない特別な事情があったと思われます」としています。
また、昭和21年11月には「電気需給調整規則」が公布され、その中では、「主な制限内容・公示期間は、使用停止日、時間、使用電力量、最大電力の限度を超えて電気を使用してはならない」とされていました。しかし、電気の使用制限だけでは対応できず、緊急遮断(停電)が相次いで行われ、以降、ロウソク営業、緊急遮断、休電日の指定も、第一段階の週1日程度から、緊急時には第二、第三段階の週2日、3日と増加されました。
しかも、昭和21、22年頃の電力は、ほとんどが水力発電に頼っていたようで、当時の新聞記事にも「東京地方並びに水源地に16ミリの雨が降り、これで3日分の電力が賄える模様……」という文字が並び、当時の厳しい電力事情が垣間見られます。
これは理容店だけではなく、デパートにも影響がもたらされていたようで、伊勢丹100年史、高島屋150年史には「昭和14年7月に、日本百貨店組合東京支部の会合で月曜定休となる(後略)」とあり、また三越資料編纂室の『定休日の変遷』でも、「昭和22年8月、週休(水曜日)の変更、23年11月から月曜日定休となる」とあります。
このように、理容店の定休日には、日本の社会的背景に由来する重大な理由があったのです。


 

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