理容店の看板~日本はどうなっているの~

 

西洋理髪は、明治維新の際に、他の西洋文明とともに輸入されましたが、そのルーツ「理髪外科医」からのなごりで、理容店の看板・サインポールの色は、日本においては、赤は「動脈」、白は「包帯」、青は「静脈」とも言われています。(この説の方が一般的に通用していますが…)
ただ、呼称の部分においては「バーバーポール」や「サインポール」という名称は当初使われず、形状から捉えられた呼称が使われていました。
「武江年表」の明治4年4月の項に「この頃、常盤橋御門外髪結床に西洋風髪剪所(かみはさみところ)の招牌(かんばん)を出す。太き棒の頭に宝珠の形を彫り、右の棹へは朱白藍色の左巻という塗分けにして立てる」と記されています。
また、明治5年の名古屋新聞によると、すでに「東京府下、髪結店凡三千餘軒あり、近来紙格に英佛髪サシ所と題し、店前に赤と青の捩れたる棒、高さ五尺許、項に金の玉を付したる看板を建たり」との記述もあります。
これらの看板は、どちらも赤と青、そして白の色使いで螺旋状に捩じれているものとなっていますが、「アルヘイ棒」と呼ばれていました。
明治6年の「江湖機関西洋鑑(うきよからくりせいようめがね)」に、『散髪床・有平の看板』とあります。有平(アルヘイ)の語源は、安土桃山時代にポルトガルから伝来した砂糖菓子alfeioaに由来しています。そのひねりを加えた形によく似ていたことから、アルヘイ棒と呼ばれました。
後に、アルヘイ棒は、その名前が転じて「あめん棒」とも呼ばれていたそうです。


 

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