采女亮にまつわるモニュメント~神社、

 

采女亮にまつわる場所は、下関の亀山八幡宮のほかにも全国に点在しています。ここでは、そのいくつかをご紹介しましょう。

御髪神社

京都嵯峨に采女亮を祭神とし、御髪大明神と称え奉った御髪(みかみ)神社があります。
 「髪」は即ち「神」に通ずるものとして、采女亮と最も由縁の深い亀山天皇御陵にほど近い、歴史的風土特別保存区指定の小倉山麓に建立され、主神の采女亮の木像が御本尊として祀られています。
また、献髪を納祭した髪塚があり、日々神官により祈拝を受け、毎年春・秋の御大祭には業祖神奉祭と髪供養が行われています。
住所 京都府京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町

西信寺(東京)

采女亮のお墓は、現在、文京区大塚の西信寺にあります。もともとは西信寺の向かい側にあった大慈寺というお寺にあったのですが、明治時代の廃仏毀釈によって廃寺になった際に、霊簿序(過去帳)とともに西信寺に移されたそうです。
お墓は150~160cmほどの大きさで、正面には「理容業祖北小路采女助累世墓」「采女講」「施主・東町・平床」と、また側面には「大正二年十一月十七日再建」「采女講々中」「発起人及有志」の文字が刻まれています。このことからこのお墓が大正2年に理容業者によって建て替えられ、毎月17日に地元の理容組合によって講(采女講)が盛大に催されていたことがわかります。 

平成12年1月には、「日本理容業開祖 北小路采女助墓所」と記された顕彰碑が山門前に建立されました。

住所 東京都文京区大塚5-2-10

 

 

 

善光寺(長野県)

采女亮を記念した碑は、日本に何ヵ所かありますが、長野市の善光寺にある碑はつとに有名です。
玉垣に囲まれた一枚岩の上に建てられた碑は、善光寺と同じく南面し、榎の大木を左に、老松を背にしています。また、大峯の山も近く、美しく風格もあります。
この碑は、明治30年に長野理容組合によって建立されました。また、明治32年7月には、采女亮の末裔の正五位男爵北小路俊岳氏が参碑したそうです。
住所 長野県長野市元善町491

成田山香里別院(大阪)

理容業祖(采女亮)のお墓とは別に、大阪府寝屋川市の成田山香里別院には「壱銭職元祖墓」があります。壱銭職元祖とありますので、徳川家康の天竜川渡河の案内をして、その功績で笄と銀銭一銭を賜り、以後一銭職と称えるようになった十七代目の『藤七郎のお墓』ということになります。
このお墓は、もとはJR京橋駅近くの蒲生墓地(野田墓地)にありましたが、終戦後、その場所に闇市がたち、墓を壊し、墓石を礎石として飲食店が立ち並んだために、理容組合が現在の場所に移しました。なお、移転の際に、墓碑の「壱銭職元祖墓」の文字が「壱銭職元祖之碑」と修理されてしまいました。お墓には年月の記載はなく、建立時期は不明ですが、郷土史家によると、文政年間(19世紀初頭)の建立ではないかとされています。
住所 大阪府寝屋川市成田西町10-1

お願い 髪結職や床屋に関する情報(資料をお持ちの方や場所をご存知の方)をお持ちの方は、ぜひ全理連理容史料館にご提供ください。


 

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