終戦秘話にこんな話がある。
『九月七日午前九時、アイケルパーガー中将は東京視察にむかった。途中、延々と東京から歩いて来る丸腰の日本軍部隊とすれちがった。
翌日は、W・チェイス少将指揮の第一騎兵師団が東京に進駐する。そのために東京退去を命じられた日本軍将兵たちである。東京は焼夷弾空襲のおかげで一面の焦土にみえた』
(中略)
『帝国ホテルで昼食をとったが、テーブルクロスは汚れ、味もまずかった。
中将の使命は、マッカーサー元帥の安全保障の確認である。そこで、日本人の米軍人に対する反応を確かめるべく、ホテルの理容室に入った。
鏡の中に、小さな日本人理容師がカミソリを持って近づく姿を見たとき、私は、彼がカミカゼ特攻隊のことを忘れているように祈った。
日本人理容師は、静かに、かつ、何事もなくアイケルパーガー中将の顔とノドを剃りあげ、横浜に帰った中将は「東京は完全に安全だ」とマッカーサー元帥に報告した』(後略)
進駐軍総司令部が横浜税関から東京に移り、GHQ理容室は第一生命ビルに開設された。
この理容室を委ねられた田中知彦氏は、アイケルパーカー中将が帝国ホテルの理容室の鏡の中でみた小さな日本人理容師だった。
ホテルのマネージャー、キャプテンが、この理容師なら大丈夫です、と太鼓判を押して推せんしたひとだった。マッカーサー元帥からリッジウェー大将、レモンミニッツと、三代の司令官は、田中知彦氏が頭を刈った。
そのリッジウェー司令官が帰国することになった時、大谷松竹社長は土産に素晴らしい博多人形を贈っているが、司令官に面会することができなかった。司令官の日程スケジュールが忙しかったからである。
多忙なスケジュールの中に、理髪時間は忘れずに、最後の理髪を楽しんで、田中知彦氏と固い握手を交わしている。
参考資料:「日本占領」(児島襄)