北海道函館市の新善光寺には「一銭職講魂塔」と刻まれた供養塔がある。
これは、函館の地で「一銭職」を受け継いできた先達を偲び、ペリーが黒船を率いて浦賀、函館を訪れた8年後の文久元年(1861)に有志が建立したもので、今年でちょうど150年を迎える。塔建立以来、理容業者が集まって物故者の名前を読み上げる供養祭が毎年行われるようになり、現在でも函館支部員と関係者が集り、過去帳に載っている物故者百数名の名前を新善光寺住職が読み上げる伝統は続き、今年は10月10日に行われた。
塔の歴史を調査している函館支部の原田幸一さんは、「港町として栄えていた函館には多くの髪結職人が本州から渡り、収税や風俗の取り締まりなども御役目として兼務して勢力を持っていたようです。しかし、生活にゆとりはあっても故郷への想いがあったのでしょう、当時、函館で唯一津軽海峡越しに本州が見えた新善光寺に供養塔を建立したのだと思います」と、建立時の思いを推察している。
理容にまつわる碑は、古くは明治30年に建立の長野県・善光寺の碑が有名だが、一銭職講魂塔は、それを上回る歴史を持っており、もしかすると日本最古かもしれない。
函館観光の際は「一銭職講魂塔」で先達の思いにふれてみてはいかがだろう。
※一銭職…
理容業の創始を伝える伝承資料。「一銭職由書」に記されているもので、徳川家康が「三方ケ原の戦い」で武田信玄の軍勢に敗れた際、理髪業祖・藤原釆女亮の末裔「藤七郎」が逃げる手助けをしたことから、褒美として銀一銭とこうがいを授かり、その後家康が幕府を設置した際、髪結職を「一銭職」と名付けて天下御免の職とし、かなり自由な権利を与えたとされるもの。
(理楽TIMES H23.12.1付 No.435掲載)